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【掲載情報】中村明珍 エッセイを寄稿しました。ミシマ社の雑誌 『ちゃぶ台10』

ミシマ社の雑誌 『ちゃぶ台10』 特集 :母語ボゴボゴ、土っ!


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特集:母語ボゴボゴ、土っ! 国家や学校からあたえられた「母国語」ではなく、 もっとのびやかで、固有の、血の通ったことば 「母語」の力を信じて―― ウスビ・サコさんインタビュー「サコ先生、『母語』ってなんですか?」、土井善晴さんによる随筆「料理する動物」、伊藤亜紗さん論考「会議の研究」、津村記久子さんエッセイ「オブラートは永遠に」など…、生活や生き様、創作の根底に流れることばに光を当てた、生活者のための総合雑誌。 *特集に寄せて  前号を校了した時点で、次号の特集は「母語」にしようと決めていた。  背景には、ロシアによるウクライナ侵攻がある。侵攻直後の3月初旬に、小山哲・藤原辰史、両氏による「歴史学者と学ぶウクライナのこと」をMSLive! で開催し、それをもとに書籍化を緊急で進めることになった(『中学生から知りたいウクライナのこと』として22年6月に発刊)。そうした過程で、さまざまな本を読み、さまざまな疑問が出てきた。その最大のひとつが言語だ。ロシア語公用語化が進められた時代、ウクライナ語での表現が禁止。それでも「誰もが詩人になれるような、美しい言語」であるウクライナ語で詩作する人もいた(『おっぱいとトラクター』)。母語のもつ力を知ると同時に、「mother tongueを日本では母国語と訳していた」という話を思い出した。もちろん、今ではそんなことはないが、母語と母国語の違いをあまり意識せずに使っていたのかもしれない。そもそも、なぜ学校で習うのは、「日本語」ではなく「国語(国(の言)語)」なのだ? そう考えると、「外国語」という呼び方も不思議だ。ソ連占領下で使われるウクライナ語を、日本ではどう呼んでいたのか。当時国際法上「国」ではないため、外「国語」と位置づけられなかったはず。  こんなふうに考えると、わけがわからなくなってくる。特集を考えた時点から、これを書いている7月中旬時点で約2カ月経ったが、編集長である私の脳には靄がかるばかりだ。そのうえ、「土っ!」ときた。企画会議で突然、「土っ!」を加えることで、俄然おもしろくなる、と直観した。  しかし、今では、いったい、何を特集していいのかすらわからなくなった感がある。靄から霧へ、入りつつある。そんなある日、「共有地」と呼ぶにふさわしい本屋さん(pelekas book・埼玉県草加市)のイベントに呼ばれた。そこで、「今、(次号特集は)霧のなかです」と話すと、お客さんから「母語を土着の言語と考えると、つながるのでは?」と指摘を受けた。なるほど、そうか。「土っ」はここから来たのだろうか。  いつにもまして、私自身がわからない本号。校了するときには、霧はもちろんのこと、すっきり靄も晴れていてほしい。――本誌編集長 三島邦弘 表紙装画:益田ミリ 目次 益田ミリ「英語と私」(エッセイ) ウスビ・サコ「サコ先生、『母語』ってなんですか?」(インタビュー) 津村記久子「オブラートは永遠に」(エッセイ) 伊藤亜紗「会議の研究――話に花が咲く」(論考) 三好愛「近寄りたいのに」(絵と言葉) 斉藤倫「クリップの王さま」(児童文学) いしいしんじ「こんにちは」(小説) 齋藤陽道「恩言語を宿らせる」(フォトエッセイ) 土井善晴「料理する動物」(随筆) 榎本俊二「ギャグマンガ家山陰移住ストーリーPART9」(漫画) 藤原辰史「民草論――山崎佳代子の言葉に触れて」(論考) 作・益田ミリ/絵・平澤一平「秋田犬 AKITAINU」(漫画) 書店、再び共有地(レポート)   SANJO PUBLISHING〈新潟・三条〉   本屋ルヌガンガ〈香川・高松〉 中村明珍「ボゴ・ダンス――日本語の話者としての」(エッセイ) 宮田正樹「土と私のあいだ」(インタビュー) 滝口悠生(小説) 内田健太郎「はじまりの言葉」(エッセイ) 寄藤文平「未来の描き方 その4」(絵と言葉) 三島邦弘(ブックレビュー) 編集後記 定価1,800 円+税 判型四六判変形 頁数184 ページ 発刊2022年12月15日 装丁漆原悠一(tento)





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